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南島原のキリスト教関連史 年表

2018年06月02日 13:33

故郷、南島原ではじまった日本キリスト教布教と、その後の迫害~島原の乱、隠れキリシタン、明治までの歴史。それぞれの出来事について「何故そうなったのか?」を辿ってみるかたちで全体の流れを掴もうとチャレンジしてみてます。
———
1492年、ポルトガルとスペインがイベリア半島からイスラムを排除しレコンキスタ完了、逆にアフリカへ侵攻し始める。    コロンブスがバハマ諸島に到着し西回りインド航路を発見したと宣言(実際はアメリカ大陸の発見)。大航海時代の幕開け。
1494年、ローマ教皇がトリデリャス条約を締結。スペインは西回りでアメリカ大陸、ポルトガルは東周りでアジアへ世界布教を開始。
1498年、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の確立。イスラム商人の妨害にあうが、ヨーロッパ諸国のアジア進出が進む。
1500年、イスラム勢力圏のスエズ運河の代替として、東まわりインド航路を模索していたポルトガルのカブラルがたまたまブラジルを発見。
1517年、ルターの宗教改革でプロテスタントが誕生、商人の利益を是認し急速に勢力拡大。カトリックは対抗し世界布教に力を入れる。
1520年、マゼランが南アメリカ大陸南端を通過して太平洋を横断し、グァム島をへてフィリピン諸島で死亡。部下が世界一周を果たす。
1543年、ポルトガル商人の乗った倭寇(中国人)の船が種子島に漂着し日本に鉄砲が伝わる。
1545年、大友氏が治めた府内に倭寇船に乗ったポルトガル人が来航。九州の諸大名が鉄砲入手のため南蛮船の来航を認めはじめる。
1549年、マラッカ経由の中国船でフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。平戸、山口、大分で2年半にわたり布教。
1550年、平戸に初めてポルトガル船が入港。松浦氏より平戸に拠点を持つことを許されていた中国の海商、王直の手引き。日本初の教会。
1560年、織田信長、桶狭間の戦いで数倍の勢力を持つ今川義元を討ち取る。戦国時代の幕開け。
1562年、ポルトガル船が大村氏の横瀬浦港に入港。前年平戸で「宮の前事件」が起こりポルトガルの拠点が平戸から大村へ。
大村純忠と実兄の有馬義貞は南蛮貿易を行うため、不可分の関係にあるキリスト教宣教師を招聘する。
1563年、イエズス会の宣教師ルイス・アルメイダが口之津で布教開始。大村純忠が初のキリシタン大名に。ルイス・フロイスも大村へ上陸。
1567年、有馬義貞がポルトガル船3隻を口之津港に招き入れ貿易とキリスト布教の拠点に。451年前のこと。
1569年、ルイス・フロイスと前年に上洛を果たした信長が初対面。金平糖を進呈。後に「日本史」を書きヨーロッパに伝える。
1571年、大村純忠がイエズス会に長崎港を提供。これ以降、九州における南蛮貿易は長崎が玄関口となっていく。
1579年、義貞を継いだ有馬晴信は龍造寺隆信に対抗するため南蛮貿易によって軍事・経済力を強化。
乗じたヴァリニャーノは更なる布教を求め、晴信は仏教寺院を徹底的に破壊。日本初の全国宣教師会議が口之津で開催。
日野江城下には荘厳な教会や修道院が建ち並び、日本初のセミナリヨ(西洋式の初等学校)も創立。
1580年、有馬晴信が洗礼を受ける。しかし長崎港に役割がシフトしていたため、口之津へのポルトガル船の入港はこの年が最後。
1582年、日本初のヨーロッパ訪問団「天正遣欧少年使節」。大歓迎されローマ教皇に謁見。8年半後、秀吉のバレテン追放令後に帰国。
本能寺の変が起こり口之津に滞在中のルイス・フロイスによりヨーロッパに伝えられる。
1584年、有馬晴信、イエズス会や薩摩の島津氏の支援を受け、ついに龍造寺隆信に勝利。
1587年、豊臣秀吉が貿易利権を独占し九州の大名の力を削ぐためバテレン追放令。フロイスは長崎に移住。
このとき追放された宣教師が「26年後に16歳の天童が現れる」と予言。
1588年、秀吉の側近であったキリシタン大名、小西行長が宇土~天草を統治(九州平定の功績と、朝鮮出兵の水軍指揮)。天草もキリシタン(2.5万人)が庇護される。
1590年、加津佐でイエズス会総協議会が開催。日本初の金属活字本が印刷される。
南蛮貿易の利で幕府に貢献し、晴信の子・直純が徳川家との姻戚関係を築くことで、禁教下でも贅を尽くした教会を建設。多くの隠れ信徒(7万人)が集まった。
布教開始より49年間。多くの宣教師や貿易商人が往来、教会の鐘や、セミナリヨからはオルガンと賛美歌が聞こえた。コレジヨ(聖職者むけ大学)も有家と加津佐に設置。
1592年、秀吉の朝鮮出兵(1598年まで二度)。ヨーロッパ列強の進出を牽制し、あわよくば明を征服しようと。室町以来の明との貿易再開も意図。明との関係悪化を招いた。
1600年、関が原の戦い。西軍につき敗れた小西行長に代わって、唐津領主・寺沢広高が天草を統治。重い年貢と信仰弾圧に苦しむ。
オランダ船リーフデ号が大分県臼杵湾に漂着。徳川家康に謁見したウィリアム・アダムズはのちに江戸幕府外交顧問、三浦按針として浦賀に。
1609年、オランダ船乗組員の送還に寄与した松浦鎮信の好意に報い、オランダ商船二隻が平戸に入港。以後10年ほどオランダ、イギリスなどプロテスタントの貿易拠点に。
薩摩藩の琉球出兵。奄美を直接支配し黒糖貿易、琉球を属国として中国貿易による利権を獲得。幕末の雄藩としての素地を構築する。
1612年、有馬晴信が失脚し処刑。息子の有馬直純は家康の近侍だったため、家督と所領を許されるが、すぐさま棄教してキリシタンを弾圧。
宣教師を追放し、教会の取り壊し、領民にも棄教を迫ったが、うまく行かず移封を願い出る。
1616年、松倉重政が日野江城に入城。7年をかけ4万石としては巨大な島原城を築城し、江戸城の普請も。日野江城と原城は廃城。
これが財政をひっ迫させ、そもそも飢饉状態であった農民を過重な年貢と苛烈な取立てで苦しめる。
有馬失脚より25年。島原~天草の住民はなおさら、来世で救われると説くキリスト教にすがるようになる。
1637年、12月、天草四郎を旗頭とし島原の乱が勃発。築城のための重税と圧政、宗教弾圧の惨状を幕府に訴えるための蜂起。
小西行長・佐々成政・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人や、帰農していた旧有馬家の家臣らが中心。
1638年、3ヶ月の篭城の後、島原の乱が終結。3.7万と言われる一揆軍に12万の幕府側鎮圧軍(幕府側戦費は400億円)。
一揆側3.7万、幕府側1.2万人が事実なら戦国~江戸時代(多くても1万程度)で最大の戦死者数。原城跡は徹底的に破壊された。
松倉勝家は領国経営失敗と反乱惹起を問責され江戸で斬首(江戸時代の大名で唯一の斬首刑)。
民衆が全滅し税が取れなくなった南島原には全国各地から入植者を斡旋。下天草では"根絶やし"ではなく"表向きの棄教"へ。
幕府は大いに反省し、武断政治から文治政治への転換点となり結果的に江戸時代を延命したと言われる。
結果的に島原半島にはキリスト教のおもかげは一切残らず、下天草や五島、外海、平戸などに隠れキリシタンが残る形に。
1639年、ポルトガル船の入港禁止。キリスト教の弾圧が本格化。
1641年、以降220年に及ぶ鎖国。南蛮貿易は出島にて幕府の管理下、プロテスタントのオランダのみ(イギリスは競争に負けインド重視に)に。
1661年、国力が落ちていた明に代わり、満州人の清が中国統一。敵対した明とは変わり、日清貿易(表向きは長崎、裏では琉球~薩摩も)が盛んになる。
1812年12月17日、伊能忠敬が口之津を測量。
1840年、清がイギリスとのアヘン戦争で大敗。薩摩藩の支配下の琉球に英仏の軍艦がたびたび上陸し、交易を迫る。
1851年、島津斉彬が薩摩藩主になり、洋式軍備や藩営工場の設立を推進。数年後には溶鉱炉を完成させ、蒸気船や軍艦を建造。
1853年、ペリーの下田来航。翌年の日米和親条約を経て4年後、長崎のみ絵踏制度の廃止の布告。
1858年、日米修好通商条約調印(関税自主権が無く、領事裁判権も認める不平等条約)くわえて居留地でのキリスト教信仰を許す。
1859年、江戸幕府は箱館、横浜、長崎(下田を閉鎖)を開港。220年の鎖国が終了する。
1863年、尊攘派の急先鋒であった長州藩は江戸幕府に攘夷決行を約束させ、自ら下関沖を通過する外国船を砲撃。関門海峡は危険な状態に。
鹿児島湾では、前年の生麦事件を発端に7隻のイギリス艦隊が来航。薩英戦争が勃発。戦後処理中に薩摩が英国から軍艦購入する形で関係が好転。
1864年、勝海舟は坂本龍馬をともない、幕命により諸外国との調停役として長崎へ2月~4月にかけ滞在。
熊本経由で現在の南島原駅付近に上陸し、往復とも島原に宿泊。
8月、英・仏・米・蘭の4ヵ国は長州藩への報復として下関を攻撃。
1865年、長崎に来航するフランス人カトリックのため大浦天主堂が建立される。浦上の住民が神父に会いにくる(信徒発見)。
浦上住民の9割が隠れキリシタンだと判明、明治政府により流罪にされる。坂本竜馬が亀山社中を設立。
1868年、明治政府が樹立される(前年に竜馬が死に、大政奉還)。不平等条約の撤廃が外交課題に。
1871年、岩倉具視が率いる使節団が不平等条約の改正のために欧米へ行くが、宗教迫害を非難され相手にされない。
1873年、キリシタン禁制の中止。名目上はここで、230年も続いた宗教弾圧が公式には終結する。
1889年、大日本帝国憲法の発布で初めて「信教の自由」が認められる。
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